散歩(自転車)
自転車で適当に横道とか入って半分迷子になるプレイ。
今回のルートはこんな感じ。
横道から伏見稲荷の中へ
横道の途中にある石碑。
実際は結構斜めってる。
で、このスープ感ある東丸って誰。
伏見稲荷の中に入ると似たような石碑があった。
どうやら荷田春満*1という人の墓らしい。
賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤合わせて国学の四大人と言うらしいが、本居宣長、平田篤胤しか知らないです…。
石碑が作られたのは明治32年とのことなので、結構最近できた石碑だった。
東福寺
西へ移動して奈良街道に出たら北へ行き、東福寺*2の南門に到着。
高校の頃は頻繁に通ってたけど、こんなに門小さかったっけ?
というかこんな門だったっけ?
門をくぐると左手に風土保存地区ですよ、という表示が。
すぐ隣が吉益東洞*3という人の墓。
1700年頃の医者らしい。
さらにその隣が後宇多天皇*4の菩提所。
遺体があるんじゃなくて、位牌がある所(多分)。
阪を登って東福寺の外側を北に行くと日下門。
ちらちら…ほら…って感じに観光客がいた。
ライトアップすんのか…。
何年か前からやたら文化財のライトアップ流行ってますよね…。
よくわからんけど…。
臥雲橋。ここは高校のある日は毎日通ったから憶えてる。
秋になると紅葉を撮りに来たカメラマンが通行の邪魔なんだよね。
カメラマンからしてみればガンガン通る高校生は邪魔なんだろうけど。
臥雲橋から上の橋を撮影。
通天閣だったか何かそんな名前の橋だったと思う(通天橋)
あそこの橋は一度も通った事が無い。
悲田院近辺へ
通学路全然憶えてなくて記憶喪失感出しながら日吉ヶ丘高校の前を通って北へ。
細い道をクネクネ動きながら移動すると悲田院参道の横道に到着。
誰が作ったのか、ちょっと洒落てる案内の標識があった。
悲田院の参道から東に行くと泉涌寺だけど、そこまでは行かない。
誰の陵墓参考地?
暑いのでそろそろ帰るかと奈良街道に出て南下。
途中、ずっと気になってた掲示板を近寄って見てみた。
何というか、陵墓参考地ってことが分かるだけだった。
調べてみると、どうやら仲恭天皇*6の墓の可能性があるとか。
伏見稲荷
ここまで帰ってきた。
人出はやっぱり少ないねぇ。
攝取院腹帯地蔵尊
JR稲荷の駅から南へ行くと、すぐ近くで奈良街道とJRが交差する場所がある。
その隣にある寺院が攝取院腹帯地蔵尊。
今まで気にかけなかったんだけど、よく見ると灯籠がやたら古そう。
横の日付を見てみると天保15年辰八月(?)。
ということは1844年頃の灯籠。
古いねぇ。
お地蔵さんの前にあった線香立て(正式名称何なん?)。
腹帯地蔵尊ってことは安産祈願のお地蔵さんかな。
この線香立てはさらに古い。
天保6年の末の正月に奉納されたか設置されたか作られたかの物らしい。
1835年くらいか。
線香立ての右側。
富村とあるんだけど、確か古地図でこのあたりが富村と書いてあったような。
稲荷神社のある所の南あたりが富村だったような?
あと六斎講中って何だ?念仏じゃないのか?